秋山和慶指揮、東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートに行ってきました。
ホールはオペラシティでした。
今日のコンサートソニー財団主催のチャリティコンサートで入場料は全席2,000円と格安のコンサートでした。
プログラムは
ベートーヴェン 交響曲第9番合唱付き
アンコールはありませんでした。
ソリストは、高橋薫子・鳥木弥生・村上敏明・久保田真澄の各氏、4人とも藤原歌劇団所属です。
コーラスは新国立劇場合唱団に小・中・高校生とその保護者が加わった編成でした。
第九、1月末に自分自身が歌ったばかりでした。
藤岡幸夫指揮、日本フィルハーモニー交響楽団で、ホールは東京芸術劇場。
ソリストは、佐藤美枝子・向野 由美子・錦織 健・折江 忠道でした。
どちらのコンサートもプレトーク付きでしたが今日のナビゲーターははいだしょうこさん、1月の時の司会は向井亜紀さんでした。
先ずは、ナビゲーターと司会者、どちらもお綺麗でしたが、ステージ袖や打上げの席で拝見した向井さんはとってもお綺麗でした。
ソリストは、ソプラノ・メゾ・テノールは1月の方が遥かに上手でした。
バリトンは良い勝負ですが折江さんは今日の4人が所属する藤原歌劇団の楽団長ですからヒエラルキーが圧倒的に上の折江さんに軍配を上げざる得ません。(笑)
指揮者&オケは甲乙つけがたくどちらも素晴らしい演奏でした。
圧倒的に違ったのはコーラスです。
出来が違ったというよりは質が違いました。
新国立歌劇場合唱団、本当に上手です。
アルトの人数が1/5ぐらいしかいません。
こんなに少なくて大丈夫と思いましたが杞憂でした。
さすがプロ。
第九を自分で歌ってみてわかったことがいくつかあります。
ベートーヴェンはソリストとコーラスを人間ではなく楽器とみなして作曲しています。
しかし人間はピアノじゃありませんからあのスコアを歌いこなすのは素人には無理です。
ベートーヴェンがオペラや宗教曲に足跡を残せなかった理由がわかったような気がします。
彼は人間にはあまり興味が無かったのではないかとも思います。
1万人の第九はコンサートではなくイヴェントですし、1月の我々のコンサートはチャリティの名のもとの自己満足、お金を頂戴してお聞かせする領域のものではありません。
お越し頂いた方には褒められましたし、涙が出たともいわれました。
でもその感動は幼稚園児がお遊戯会で頑張ったのと大して変わらない意味合いで涙が出たのではないかと思います。
やはり第九はプロのみが鑑賞に堪える演奏ができる曲です。
その点今日のコンサートもチャリティであり、素人混じりではありましたが新国立歌劇場合唱団の見事な歌唱で素晴らしい第九になりました。
富士山に登った後で「富士は見る山で登る山じゃない」と聞いていたのを実感しました。
第九のコーラスを歌ってみて「第九はプロの演奏で聴く曲だ」と思いました。
誰も思いつかないような斬新さがあるかと思えば第4楽章のファゴットのようにバロックから続く対旋律の手法でレチタティーボを吹かせてみたり。
伝統と実験が入り混じってベートーヴェンは何を考えていたのだろうと改めて興味がわきます。
そして当時の聴衆は良くこれだけ破天荒な音楽を受け入れたものだと感心します。
ベートーヴェンのような音楽が日本に出現しても保守的な日本では受け入れられず歴史に埋もれてしまったと思います。
草間彌生や若冲のように日本では歯牙にもかけられなかったのに海外で評価を受けて逆輸入され日の目を見ればまだマシですが埋もれたままの絵や音楽や文学作品が沢山あるんだろうなぁと思います。
権威のある人の尺度でのみ評価が定まる日本の気質変わりようがないんでしょうねぇ・・。